料理の話

料理がしたいけれど出来ない…


料理がしたいと言っても
いつもごちそうを作れるわけじゃない!
むしろいつもは…ほぼ茶色の地味ご飯です笑

料理をすることへのハードル

幼少期の頃からお料理は大好きでした。
一番大好きなテレビ番組はお料理番組だったという正真正銘の食いしん坊です笑
そんなわたしの幼少期の将来の夢は「お料理の先生になる!」でした。

小学生になるとお料理教室にも通い
作ることが楽しくて仕方がなかったですしお菓子作りも大好きでした。

ただ…思春期のころになると
手伝えと言われて手伝っているのに文句ばかり言われることや

たまにお料理をすると「そのやり方じゃダメ!」「その味付けじゃダメ!」と
ダメだしばかリされるようになり段々とお料理に対するハードルが上がり

食べることは好きだけど作ることは嫌いへと気持ちが変化していきました…。

作りたい想い・食べることが好きだからからやっていたこと…


作りたい…でも作ったら文句を言われる…だから作りたくない…
そういうジレンマと戦っていた時にしていたことはレシピ本を見ることでした。

見ても作れないからとにかく見るだけでしたが
それでもレシピ本を見ている間は
そういうことを忘れてとても楽しく妄想が広がる時間でした。

学生時代のバイトや最初の就職先は飲食関係でした。
高速道路のSAの軽食レストラン・駅ビルのお総菜屋さん・旅館の仲居…

食べ物を扱うところにいけば、まかないが食べられるから笑
という母のススメでもありましたが、旅館の仲居については

当時流行っていたドラマを観てホテルの仕事に憧れて
会社名が〇〇ホテルだったから就職したらホテルという名の旅館だった
というオチですが笑

厨房の料理人の人たちと仲良くなり
色んなお話を聞かせてもらうことが楽しかった思い出です。
そうやって食べることの楽しさを長年味わってきたように思います。

美味しいもの巡りが好き♡


そうしている内に作ることへの楽しみがいつの間にか消えて
食べることへの喜びだけを感じるようになっていったように思います。

大人になってからは美味しい料理を食べ歩くことだったり
カフェ巡り・蕎麦巡り・カレー巡り…という食べ歩きを楽しむことをするようになりました。

結婚してからもそれは続き…体重が激増していくことになり、夫婦そろって結婚当初よりも
10キロ以上太りました。

結婚しても料理が出来なかった暗黒時代…


結婚したら思い切り料理が作れる!
そう期待に胸を膨らませ、お皿を揃えたいとかテーブルをこうしたいとか

毎日のお料理は…とか…とにかく色んな妄想を繰り広げていましたが
実際はその妄想のようにはいきませんでした。

キッチンは姑の城。

そうなのです…
わたしは結婚当初から完全同居を選択したため姑の存在がありまして。

しかも姑は息子一筋人間だったので
当初わたしは絵にかいたような嫁姑関係に遭遇することになり
料理はもちろん洗濯も掃除も何もかも好きにさせてもらうことが出来ませんでした。

結婚式翌日から同居を始め3日目に荷物まとめて実家に帰りました笑笑
ちなみにそれは…

いじめられて辛かったから泣く泣く帰った
という弱々しいものではなく
理不尽なことをされて頭に来たのでブチ切れて出て行ったという強気なもの
でした笑笑

当時はカウンセラーでも何でもないただの人間だったので
気の強さ全開で戦っておりました。

いつかのために…


そんなわたしでしたが
いつかのために…とコッソリお気に入りのお皿を購入したり
義父母が年に1度地域の旅行に出かける際だけ、唯一許されたキッチン使用。

TOMOさんとの2人ご飯を思い切り楽しみ
また1年間は妄想の日々を繰り広げ過ごしておりました。

ずっとずっと…いつか料理を思い切り作れる日が来たら
あれやりたいこれやりたいと、ひたすらに妄想を繰り返す日々でした。

作り方が分からない??


そんなある日、義母がいつも作っていた混ぜご飯の作り方を忘れました。
どうやって作っていたの?と聞いても分からないと言い、全く思い出せない様子…。

でも翌日には普通に料理をしているということもあり
たまたまかな?と思っていたのですが

火を消し忘れて鍋を焦がすことが頻繁に起こるようになり
危険なのでわたしが傍で見守るようになっていた矢先
義父が急逝しそこから一気に認知症へ…。

今にして思えば、いつも作っていた料理の作り方を忘れたあの時が
認知症の始まりだったのだと思いますが

当時の義母はまだまだシャッキリしていたので
まさかあれがなどと思いもよりませんでした。

そして鍋を焦がしていたのは認知症の進行により嗅覚が衰えていた為
焦げた臭いに気づけなかったのではないか?
と今なら容易に想像が出来るのですが
これもまた当時のわたしには全く気づけなかったポイントでもあります。

いきなり全部をやることに…


義父が他界したことがキッカケとなり
もともと震災で被災していて建て直す予定だった家を本格的に建て直すと決め
アパートへ引っ越しました。

アパートのキッチンが小さすぎて
そもそも義父の死をキッカケに認知症が悪化してしまい
既に新しいことを覚えることが苦手になっていた義母さんには無理。

ということで
急にわたしが全家事をすることになりました。

いつかのために…と妄想していた世界とは全く違い
介護付きの世界となりましたが
それでも思い切り料理が出来る環境が当時は嬉しくて仕方なかったです。

新築でこだわったこと


新築のお家ではキッチンにこだわりました。
こだわったと言ってもそんな大層なことではなく対面にすること。
これだけでわたしは満足でした。

今にして思えばもう少し…
料理教室が出来る仕様にしておくべきだったと感じますが

当時のわたしにとっては前の家もアパートも使い勝手が悪く
対面では無かったので対面キッチンは憧れで

しかもわたしが使いやすいような配置で作れることが
とにかく嬉しかったのでそれだけで充分でした。

作れる喜びを感じていたときに起こったこと…


新しいキッチン、新しい調理器具…
ワクワクで揃えて料理が出来る喜びを感じて
とにかく幸せいっぱいで毎日の料理が楽しくて仕方なかったのですが…

作るのは好きだけれど美しい食卓にはならない。
ということに気づきました。

食卓が茶色い。
どう頑張っても美しい食事を作ることが出来ない。

憧れて妄想していたアレがわたしには出来ない。
何がいけないのだろう?どこが違うのだろう?

考えても答えが出ない状態のまま…

気づいたらわたしはIgA腎症を患い
TOMOさんは脂肪肝を患うという事態に…。

これはいけない!と
本格的に料理を学ぶことに決めて今に至るのですが
そのお話はまた今度。