まるで凄いことのように感じる…
見えない存在
このように書き出すと
それはまるでスピリチュアルで特別な雰囲気をまとうような
非日常世界のような気がしませんか?
定期的に訪れるスピリチュアルブームのように
キラキラフワフワした特別感を味わえる
そんな気がしてきませんか?
でも…
本当のスピリチュアルとは日常にあるものだと
今なら自信を持ってハッキリとお伝え出来ます。
わたしにもかつて目に見えない物と対話出来たり
エネルギーを扱えるわたし凄い!というブームがあったので笑
(今思えば相当イタイ…)
スピリチュアルにハマっているとき
こういう声は届かないのは百も承知ですが敢えて書いていきます。
果たして本当に凄いことなのだろうか?
目に見えない存在…
それを知っていることは果たして本当に凄いこと?
なのでしょうか?
いいえ。
目に見えない存在はわたしたちの日常にそもそも在るので
その存在との関りが出来るから凄いということはなく
むしろ当たり前のことを私たちはただ忘れているだけに過ぎないので
凄いことなのではなく思い出すだけで良いこと。
ただの日常なんだと気づくことが大切だと感じます。
日常に在るとはどういうことか?
目に見えない存在が日常に…というのがどういうことか?
最も分かりやすいのはお盆やお彼岸かも?知れませんね…。
この時期はご先祖様に想いを馳せ、お墓参りをしたり、家族が集まったり
地域によっては精霊棚を飾り仏様に食事を用意するというところもおありでしょう?
これらがもう既に目に見えない存在とわたしたちの日常での繋がりであり
そもそも私たちは既にそれをして来た(人もいる)ということです。
そういうことが無かったとしても
お盆に海に入ってはいけないよとか
彼岸に宿泊をしてはいけないよとか
日常におけるどこかで何か…え?どうしてそれがダメなの?
と言いたくなるような言い伝え的な経験はありませんか?
それらが即ち
目に見えない存在とわたしたちの日常に関わっている
という可能性に繋がっています。
気づいてみたらわたしにもそういう体験がありました。
お盆に行っていること
お盆の時期は子供の頃から家にいることが習慣でした。
8月13日は仏様を迎えにお墓参りをし(迎え盆)
8月14日~15日は仏様に3食振る舞い
8月16日は仏様を送りにお墓参りをする(送り盆)
なのでこの期間に家を空けるということが出来ない。
今でこそその意味が分かるので出かけられないのも納得ですが
子供の頃は…どうしてウチだけ旅行にも行けず遊びにも行けないの?
お手伝いばかりさせられてつまらない。
そんな風に思っていました。
でもこれこそが
見えない存在と共に生きる昔からの習慣なんだと思うと
ご先祖様という目に見えない存在との繋がりも感じて
スピリチュアルに生きるという本当の意味が分かる気がして来ます。
お盆に嫁ぎ先で行われていること…
わたしの嫁ぎ先は実家から車で30分程のところですが
お盆の習慣が少し違います。
わたしの実家は先祖代々を精霊棚を祀ることで敬い
仏さまファーストの生活をするのがお盆の時期の過ごし方ですが
嫁ぎ先はここになんと!浮遊霊の皆様への食事が含まれて来ます。
これには最初衝撃が走りました!!
えっ?!見ず知らずの霊にまで食事をお出しするの??と…。
お盆は色んな霊がいるから…
お盆の時期は色んな霊がいるからご先祖様の食事だけ出すと
他の霊たちが手を付ける可能性があるから別で食事を用意する。
この話を聞いたとき衝撃を受けました。
この地域の方達は目に見えない存在を日常に落とし込んで
こうして暮しているのか!と。
浮遊している霊たちにまで食事を振る舞うという
なんだか凄い文化だなと感じたのは言うまでもありませんが
それもこれもご先祖様たちのために繋がるのだと感じると
ただただ凄いという言葉しか湧きませんでした。
そんなこんなで今年のお盆もご先祖様だけでなくその他の霊様のために
お食事を用意する日々を過ごさせていただきました。
朝は餅・昼はそうめん・夜はごはん
おかずは一汁三菜を精進で。
お釈迦様とその他の霊様にはキュウリとナスと生米を供えます。
これをお盆期間中毎日行っておりました。
特別なことじゃなくて日常
こうしてみると…
わたしは幼いころから目に見えない存在との関りが
日常だったのだと今改めて気づくと共に
それは本当にありがたいことだったのだと感じます。
(当時は全く理解できませんでしたが笑)
目に見えない存在は見えないけれど在るんだよと
ずっと教えられてきたのだなと…。
気づくのが遅すぎですがやっとやっと肚の底から理解出来て
スピリチュアルを日常にという意味も益々深まり
わたしが伝えていきたいこともより明確になった気がしています。
本当のスピリチュアルとは…
目に見えない存在が見えることが凄いとか
特別なエネルギーを扱えるから凄いとか
魂が震えるパートナー(ツインレイ)と出会えたから凄いとか
そういう…
何だか凄いわたしを表現するものがスピリチュアルなのではなく
(結構そうなりがちだなと思うのですよ。過去のわたし含めて)
そういうものが日常にあってわたしたちは意識的にも無意識的にも
それを活かすことが出来るんだよということを
誰もが思い出して日常使いしていくものなんだとわたしは思っています。
ここら辺はそう遠くない内に講座にしてお伝えしていきたいなと感じています。
スピリチュアルを学んでも人生苦しいと感じる方へ向けて
本当のスピリチュアルの活かし方をお伝えできればと思っています。
需要あるかしら??笑
ということで今日はここまでにしておきます♡
長々のブログを読んで下さりありがとうございました。